ファションは、どこから始まる?〜産業としてのファッションを考える。

Posted on Posted in ナム哲学

「ファッション」とは、どこから始まるでしょうか?

 

日々最新で、最高のブランドを着こなしている、モデルさんの、私服

 

いやいや、やっぱり「流行」を作り出す、その、一番最初の工程である、「2年後の流行色を決める」機関である、国際流行色委員会

 

やっぱり、やっぱり、日々洋服を買い求め、経済を動かしている、一般大衆のPOSデータ

 

いろんな考え方がありますが、わたしが思うに、

ファッションの始まりは、「農業」と、そして「化学」です。

 

20160906_ishi

 

洋服になる前のもの

型紙からパーツごとに裁断された

布地ができる前のもの。

それは、

 

革をのぞいて、ウールも、コットンも、ナイロンも、もとはといえば、すべての始まりは「糸」。

 

そしてその「糸」ができる前には、さらに細〜い「繊維」という段階があり、その前にあるのが、

コットンだったら、綿花の栽培

ウールだったら、羊の毛刈り

これらは、どちらも一次産業である農業といえますよね。

 

ナイロンだったら、石炭と、空気と、水の合成。つまり化学だったわけです。

 

 

今日の洋服が出来上がるまで。

ちょっと考えてみると、長い、長い道のりがあるんですね。

 

繊維業や、糸から布地をつくるテキスタイル屋さんがあったり、プリント加工の技術屋さんがいたり、織物屋さんがいたり、染物屋さんがいたり、まぁ、本当に、ありとあらゆる技術の結集であることが、想像に難くありません。

 

ひと昔前の日本では、紡績業(繊維から糸をつむぐ産業)は、日本を代表する産業だったのです。

 

第2次世界大戦後、その様相は変わりました。

なぜなら、戦争に負けた日本。

資源に乏しい日本が、急速に経済を回復させるためには、

原料を世界から輸入して、加工して、製品を輸出する「重化学工業しか、道はない!とりあえずの間、がんばろう!」と発展してきたからです。

 

基本的に、メーカーからの委託で生計を立てていた日本の紡績業や、テキスタイル・ファブリックの産業は、中国や、アジア諸国へより安価な労働力を求めるようになった結果、ガタガタと崩れ始めています。

 

ってことで、繊維が、布地が、日本では作れなくなっていっています。

 

輸入に傾いてバランスが悪くなっている食べ物だけじゃなかったんですね。

 

裸じゃ生きていけないのに、洋服の(和服でも一緒)もとにある繊維が、日本では作れないという。。

 

日本が自立した国家として生きていくためには、日本の産業を守る(そのためには、やはりメーカーの委託ではなくて、川上から川下までを一貫した商品の企画開発と、商品販売が必要になってくるわけですが)視点が必要不可欠なんだなぁ、と感じます。

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