社会でよい人間関係を築き、よい仕事をし、他人から喜ばれ、素晴らしい知人・友人に囲まれ、「ここが自分の居場所だ」と感じながら生きていけたら、とっても素敵なことですよね。
そうは言っても、人間関係や、仕事では色々あります。
そんなときに、誰がなんと言おうと、誰にも邪魔されずに自分を守ってくれるもの。
それが、裸の私を包み込んでくれる、「被服」であり、もう少し大きくなると、「部屋」になり、住環境や家族構成によっては「家」となります。
被服とは、衣服ほか、身につけるもの全て(靴や、カバン、帽子、メガネやアクセサリーなど)を含む言葉です。
個人の「被服」が語られるとき。
現在の日本では、TPO(時、場所、目的に相応しい被服を身につけましょう)や、ファッション(流行や、自分をかっこよく見せるためのもの)、そして機能面(防寒や、圧迫してむくみをとる、作業着やスポーツ)という観点で語られることがとても多いのではないでしょうか。
ただ、現在の日本では、私たち「ヒト」は動物でありながら、「裸で生きる」という行為は許されていませんから。
本来、もっと、自分の生き方や命に直結したものだという認識を持ってもいいかもしれません。
足が長い、短いとか、太ってる、痩せてるという体型に全く左右されない範疇。
もし仮に、自分の身長が10センチ伸びても着ないもの、今より5キロやせても着ないものってあると思うんです。
反対に、傷んだり、汚れて着れなくなったらとっても悲しいもの。クローゼットには、もちろん他の服も入ってるけど、度々手に取りたくなるお気に入りのもの。着ていると、なぜか気分がよくなるもの。
たとえそれが、ソックスでも。ブリーフ一枚でも。ネックレスでも。
いやいや、もっと普通にワイシャツやブラウス、ニットの類でも。
きっと誰にでも、そういった一着があると思うんです。
それが、なぜ自分にとってお気に入りなのか?
TPO、ファッション性、機能面をクリアして、なお自分らしく、自分の生き方にフィットしている。そういったことが言えるのではないでしょうか?
人によっては、ユニクロで買ったダウンかもしれませんし、人によっては、履きつぶしては同じものを購入するコンバースかもしれません。
私は、ユニクロのダウンも、コンバースのスニーカーも持っていませんから、きっとそれらは「みんな着てるから」以上の意味が、ご自身の中に、きっとある。
そして、クローゼットの中身が、全てこういった「自分の皮膚」の代わりをしてくれるもので埋め尽くされていたら?
だとしたら、とっても幸せなことではないでしょうか。
もう、季節が変わる頃に、パンパンになったクローゼットの前で
「着る服がないの〜!」とぼやくことも、なくなるはず!
お洒落な人とは、特別な人ではありません。
ファッションモデルのように、スタイルがいい人だけが叶えられるものでもありません。
とあるスタイリストさんに、
「スタイルがよく見える秘訣は?」と聞くと、
「バランスです。」と、きっぱり、はっきり、おっしゃいました。
それは、頭のてっぺんであるヘアから、つま先である靴まで、トータルのバランスがどうなっているか。それこそが大事で、太っているも、痩せているも、身長が高いも低いも、はげているも、毛が長いも、すべてそれぞれの「個性」だということ。
この「バランス」という言葉には、体型だけではなくて、「生き方を表現するバランス」ということも含まれるのではないでしょうか。
なぜなら、今の日本での被服とは、自分と社会とをつなげる、最初の異物。ラベル。私をすっぽり覆うもの、だからです。
何を着ていても、それがすべて、あなた。
その存在は、誰かに否定されたり、どうの、こうのと言われる筋合いはありません。とても自分のことを思っている、母親の言葉であっても。
この、被服のパワーを使って、自分と社会の接点を、よりスムーズにつなぐこともできる。それが、被服のパワーです。
あなたは、自分の装いに自信がありますか?
自分のファッションが、好きですか?
ファッションを、楽しんでいますか?
もし、その答えが「NO」であったなら。
この秋、ナムフォトでスタートする、とびっきりのプログラムにご注目ください!
2 thoughts on “今後の人生で、「ファッション」に悩まない”
楢さん、girls in techでお目にかかった木村です。お話しできて良かったです。ありがとうございました。
木村さん、先日はありがとうございました◎
プログラムの詳細、もう少しでお披露目できそうです。どうぞお楽しみに(^^)