「勝ちにこだわる自分」と、「譲れないラインを持つこと」の大きな違い。

Posted on Posted in ナム哲学

周りや、相手との競争の関係をやめ、協力や創造の関係を築いていくために。

矛盾しているようですが「自分のライン」を持っていることは、とっても大切です。

 

自分より相手を下に見ている場合には、どんな場面があるでしょうか?

 

よくあるのが、レストランで、店員さんに対して横柄な態度をするってやつですね。

同じように、「お金を払う側」と「お金を支払ってもらう側」で見たときに、

やはり、「お金を払う方が偉い」とか、「相手に言うことをきいてもらおう」とか、
無意識にそういう気持ちが働くケースは多いかもしれません。
「俺が、社員を食わしてやってるんだ」

・・・こういった思いも。

 

社長は、会社を通して(法人格を持つことで)社会に対して表現したいことがあるわけで。
自分ひとりではできないから、社員さんに助けてもらってるのであって。
食わすお金がなければ、自分でやるか、会社を畳むこと。それしかないですよね。

 

反対に、自分より相手を上に見ている場面はどうでしょうか?

「上司は自分より偉いから、何でも言うこときかないと。」
「(ちょっと声の大きい)同僚に残業を頼まれたから、断れない。」
「(押しの強い)店員さんが勧めるから、買わないと悪い。」

 

・・・何でも言うこと聞くから、相手はますます何でも言うし。
・・・自分の仕事が終わっていたら、残業を断ればいいのだし。
・・・店員さんが、いくら「お似合いですよ〜♡今年の流行りですよ〜♡」とたたみかけてきても、自分が違うと思えば買わなければいいし。

 

社会は、歯車がかみあってできている。
「共に心地よい」と思える「依存関係」を目指して、自分の範囲をしっかり認識しながら、社会へダイブできるといいですね。

 

いや〜、「人」という字はよくできてますね!

人と、人が支え合って、生きている。

 

象形文字って、ある意味顔文字ですね。

そのうち、国語辞典には、
「笑う」の類義語として「^^」ってマークが出てきたりして。

 

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・・・話がズレましたが。

 

自分の範囲を超えて、相手をコントロールしたいと思ってしまったり。
自分の範囲を超えて、相手に尽くしたいと思っていたり。

そんな場面に出くわしたとき、その根っこには何があるのか。

一番最初に、そんな気持ちになったのは、いつなのか。

そのキッカケは、幼い頃にできてしまったものかもしれませんから。

一度、幼い自分に、大人の自分が寄り添ってあげて、心の奥底をのぞいてみるといいかもしれません。

 

名付けて、「ひとりで“人”作戦」

 

支える役と、寄りかかる役を、ひとりで二役。あれこれ心でお喋りして、
「人作戦」で救出してあげましょうね^^

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