川を眺めていると。
さーーーーっと、自分の内側のものも流れていくような気持ちになるから、
一息入れたいとき、よく屋上へ上がります。
流せども、流せども、わきおこってくる色々な「想い」たち。
誰の中にも、きっとある、こんな「想い」たち。
「こんなこと言ったら、変に思われるかもしれないけど・・・」
「実は、みんなとはちょっと感じ方が違うかもしれないけど・・・」
「自分でも、どうしようもなくて、困ってるんだけど・・・」
「非常識かもしれないけど・・・」
「現実的じゃないかもだけど・・・」
「おこがましいかもしれないけど・・・」
「そんなのできるの?って言われるかもしれないけど・・・」
「けど」の後には、ポジティブ(に見えるもの)も、
ネガティブ(に見えるもの)も入る可能性があって、
それがよいものか、わるいものかはさておき、
この、「けど」の後にくる感情って、すっごく、とっても大切だと思うんです。
自分が、よりよく生きるための手がかりが、たーーーっぷりと、隠されています。
こういう話題って、
仲のよい友達や、家族や、
よく会う、よく話す、日常的に関わりの多い人へこそ、
話しづらい場合もあるかもしれません。
“日常”を円滑にすすめるための、お互いの役回りとか、
キャラクターとかが、固定されてるから、
そこから(相手が期待する自分から)離れたことを口にするのが、
少しはばかられるような気持ちになるんですよね。
とても、よく分かります。
わたし、幼い頃、家でテレビのクイズ番組を見てたとき、
「正解はこれ!」って答えがわかっても、口にできなかったんです。
父、母、兄が違う答えを口にしているときは特に。
(今は、言えますよ! )
幼い頃のわたしは(末っ子でした)、
「できないわたし」でいることで、自分を守り、家族の均衡を保っていたのだと思います。
・・・余談ですが、誰かに何かを習うとき。
ヨガでも、習字でも、簿記でも、なんでも。
習う先生は、
「できるようになることを、心の底から援助してくれる」
そんな先生がいいと思います。
たまに、
「簡単にできるようになることを、許さない(許せない)」
「上達すると、嫉妬する」
・・・そういう方も、いらっしゃるように思ったので・・・。
こういう方の前だと、のびのびと自分を表現できなくなります。
はい、以上、余談でした。
とにかく、「あれ?なんだかコレって、人に話しづらいな。」
こういった気持ちって、感じてしまったら、
感じたときから、
必ず「ある」んですよね。
どんなに、打ち消そうとしても。
どんなに、隠そうとしても。
「ある」・・・には、あるけど、
どうしたらいいか、わからないよ〜〜
というとき、人は「もやもや期」に入る気がします。
そんなときのオススメは、紙やノートに、思いつくまま、さえぎらずに、
自分の想いを書き尽くすってこと。
次から、次へと内側から言葉がつむがれて、
何か、とりあえず落ち着くポイントが見つかったりします。
潜在意識がいろいろと教えてくれたり。
または、神様や仏様のような存在がサポートをくれたり。
なんだか、いろいろ。
ただ、ひとりだと、それが自我なのか、大我なのか、
判断できなかったりもします。
そんなわけで。
「自分では、どうにもこうにも、どう考えていいかわからないよ〜!」
「お手上げだいっ!」
ってときには、
「この人だったら、聞いてくれるんじゃないかな」
って、心に思い浮かぶ人のところへ、行ってみてくださいね。
(相手の都合をたずねてみてくださいね!)
そして、もしくは、ナムトーク「わたしの仏教、持ち寄りトーク」へ
遊びにきていただきたいなぁと思います。
どこで、つまずいているのか。
これって不思議と、周りの人はよくわかるんですよね。
自分も似たような状況を経験したり、乗り越えたり、
「こういうことかな?」って想像できたり。
「なんでわたしがもやもやしているのか。教えてほしいなぁ。」
と思っている方には、
自然とその答えがまわりの人の口から出てくるように思います。
もちろん、ナムフォトの楢も、
これまでの人生で学んできたことを総動員して、
からだごと、あなたの声を聴かせてもらおうと思ってます◎
参加者の数だけ、事例があって、
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