友人が「がん」になったとき。お見舞いの言葉に、何て言う?自分が「がん」になったとき。告知するときのマナーって?

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もし、自分が「がん」になったとしたら。もしくは、大切な人が「がん」になったら。

それはもう、とてもショックを受けますよね、きっと。

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今の日本では、二人に一人が、がんになると言われ、さらに三人に一人はがんで死ぬとされています。こういった状況もふまえて、「がん」と宣告されたら

 

「死んでしまうのかな?」ってことを、意識せざるをえないし、

「なんで?」という受け入れられない気持ちもあるし、

「何が悪かったんだろう?」と、過去を責めたりもする。

おそらく、他人が考えうるすべての可能性、後悔や、いろいろなことを、がんになった当事者が誰よりも感じているのだろうと思います。

 

人によっては、整理がつかない状態のまま、とにかく誰かに話を聞いてもらいたいと思うかもしれないし、

また、人によっては、誰にも何も言うことをせず、自分の中でどうにか消化しようと閉じこもってしまうのかもしれない。

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この世の中には、色々な人がいて、コミュニケーションのパターンや取り巻く環境によって、状況はいろいろだと思うのですが、がんの当事者が誰かにそれを告白するとき、また誰かから「がん」であることを告白されるとき、どちらの側にも、お互いが傷つかないような工夫があるといいなぁと、思います。

 

私が乳がんになったときは、「誰かに聞いてもらいたい」という気持ちもありつつ、自分の中でも受け止めきれない大きな思いを、他人が受け止められるとも思えないし、たまに話すとやっぱり、なんだかいつも、ちょっぴり傷ついたりもして、仕事の都合で伝えなければいけない人と、親・兄弟以外には、ほとんど話さなかったです。

 

相手に打ち明ける前に、どんな言葉で切り出すのがよかったのか。

また、相手からどういう風に声をかけてもらったり、お見舞いしてもらったら嬉しかったのかを、改めて考えてみました。

 

「がん」であるあなたも、「がんの友人・知人・家族」をお見舞いに行くあなたも、お互いが傷つかずに、上手に優しさや愛を交換できますように。

 

参考になればいいな、と思って書かせていただきます。

 

 

 

自分が「がん」であることを伝える場合

 

相手は、まさか「がん」の告白をされるとは夢にも思っていません。

 

「はっは〜ん。さては、がんの告白だな。」

って、なかなか予想できないですよね 笑

 

心の準備ができていない状態で、ショッキングな事実を告白されたら、やっぱりみんなびっくりするのが自然だと思うのです。

 

人生経験が豊富で、人間的な土壌ができている人であれば、何かしらの答えを返せるかもしれませんが、相手が考える間もなく口をついて出た言葉が“あんまり”だった場合は、逆に自分が傷つくことにもなります。

 

だから、なるべく相手を驚かせないように、という配慮は大切なことだなぁと思います。

 

・・・ということで、話しだす前に、心の準備をしてもらう一言を添えてあげられると、お互いが楽になるように思います。

 

「あまり良い話しでなくて申し訳ないのだけど、大切な話があります。」

「驚かせてしまうかもしれないから、落ち着いて聞いてほしいのだけど。」

「感情が高ぶってて、うまく話せるかわからないけど、ひとりで抱えているのが辛いから、話してもいいかな?気持ちを聞いてもらえると安心できそう。」

 

また、自分が「辛い」「悲しい」という気持ちは本心なので、それを隠す必要はまったくありませんが、話し相手に受け取りやすい形にしてあげる配慮はあってもいいかな。

 

自分が「辛い」気持ちに入り込んでしまって、自暴自棄になってしまったり、「どうせこの苦しみを理解できないでしょう?」などと、相手を非難する気持ちが生まれてしまったりすると、お互い不幸ですものね。

また、相手が「何か、ためになることを言わなきゃ!」「いいこと言わなきゃ!」と焦らないように、してあげられるといいなと。

ご自身が「がん」の経験がある人か、その家族、もしくは医学に携わっている専門家ではない限り、あなたのほうが「がん」に対する知識も、経験も上。

 

もし、何かわかっている風のことを言われたら、逆に傷ついたりしませんか?

なので、「何も特別なことを言わなくてもいいんだよ。話を聞いてくれるだけで、助けになるよ。」 ということを、相手に分かっておいてもらえるといいなと思います。

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病状や手術の詳細をたずねる場合

次に、知人や友人から、「がん」を告白されるときのお話です。

身近な人が「がん」だなんて知ったら、なぜそれを発見するに至ったのか、どんな病状なのか、どんな治療を受けるのか・・・そのほか色々。気になってしまいますよね。

 

気になったことを、素直に尋ねるのは、自然なこと。

 

・・・だとは思うのですが、実際に尋ねる前に、一度、自分の心に手を当てて確認してみてください。

 

「今から質問しようとしていることは、本当に相手を心配してのことなのかな?

「好奇心」が混ざっていないかな?

もしくは、“相手の役に立ってる私”を演じようとしていないかな?」

 

当事者は、いつもより、ずっとずっと感受性が開いている状態なので、その質問が、どんな気持ちから発せられたことなのかを、敏感に感じ取っています。

 

また、尋ねるときのルールとしては、

「病状や治療について、詳しいことを聞かせてもらってもいいかな? もし、話すのがしんどかったり、傷つくようだったら、話さなくてもいいよ。」

 

あくまでも話すか話さないかのジャッジは相手に預ける形で聞いてあげてほしいと思います。

 

「がん」の話題って、むずかしいんです。

同じ人間がいないように、ひとりひとり症状が違うし、専門じゃない、知識を持っていない、もしくは、どこかで聞きかじった知識を持っている人に話すのって、本当にむずかしいんです。。

 

心配してほしいような、だからといって余計な心配はさせたくないし、余計な心配をされるのは負担でもあったりして。

 

告知を受けてから、当事者の心はいろいろな感情が渦巻いていて、整理できていない状態かもしれません。平気そうに見えてもね。

だから、話してあげたくても、話せない場合も、あるのですよね。

 

相手から話し出す場合は、相手が話したい分だけを。

また、何かを判断したりせずに、ただ、やわらかい水が大地に降り注ぐように、ただ、静かに相手の言葉に耳を傾け、体ごと聞いてあげてほしいと思います。

 

あ。あとから「がん」を聞いて、

「なんで、言ってくれなかったのー!」

「わたしは、あなたの役に立ちたいのにー!」

も、やめましょうね。相手のためを、思うなら。相手があなたを選ばなかったのですから。

 

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専門家ではない限り、情報提供を控えよう

「○○が効くって聞いたことあるよ!調べてみたら?」

・・・相手から、「がん治療について、何か情報知らない?」と聞かれた場合は別ですが。

聞かれてもいないのに、ついつい、言いがちな言葉ではないかと思います。

 

「相手のがんが、治るといいな!」って、優しい気持ちから出てきた言葉であることは、もちろんなんですが、ちょっと注意が必要なんです。

 

それって、自分が経験したことですか?それって、事実ですか?絶対ですか?本当に確かな情報ですか?

何より、あなたよりも、がんである本人の方が「がんに詳しい(がんプロ)」ってこと、、、まずは理解していますか?

 

それでも、相手にとって有効な情報は一つでも多いほうがいいかもしれませんものね。

 

では、話す場合は、情報を受け取る・受け取らないという主体は、がんである本人が決めることを意識した言い回しにしてみるのはいかがでしょうか?

 

「治療については、私よりも詳しいはずだし、もちろん色々と調べていると思うし、お医者さんの見解もあると思うし、とにかく参考までにと思って、聞いてもらいたいんだけど、いいかな?」

 

相手が「いいよ」と言ってくれたら、とてもスムーズではありませんか?

 

 

 

相手をジャッジしたり、判断するのは控えましょう

「がんになった」と聞いたら、「なんで、がんになったんだろう?」って、思いませんか?

・・・私は思います 笑。

 

「なんで?」・・・わからないからこそ(それが分かったら、一気にがんがセーフティになるからこそ)自然とわき起こる気持ちですよね。

 

それはそれとして、先回りして、相手をジャッジしたり、判断しないでください。

 

「普段、お風呂どうしてる?シャワーばかりなんじゃない?全身浴するのがいいらしいよ。」

「食生活、乱れてるんでしょう。」

「仕事のしすぎじゃない?」

「なんでも頑張り過ぎなんだよ」

「いつも何時に寝ているの?」

「基礎体温低いんじゃない?」

「がん家系なの?じゃあ、遺伝なんだね。」

 

 

「なんで、“がん”になったんだろう」

 

なんども言いますが、これって他人に言われなくても、本人が一番考えることなんですよね。

また、これらの言葉の問題は、「がんになった“あなた”」を、「“あなた”に原因がある」と、暗に責めている言葉でもあるのです。

 

もちろん、「がん」には、色々な要因があります。色々な学者が、その原因を突き止めようと研究をし、その研究の一端はニュースとして私たちの耳へ届きます。 そこから考えて言い当てようとしても、やっぱりそれは憶測でしかありません。

 

「私が“がん”になった原因はなんだと思う?」と相手に聞かれた場合は別ですが、「心配すること」と、「原因を判断すること」は、全く別であることを分かっていましょう。

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治ることを、すぐに期待するのは控えよう

 

相手が心配で。それでいて、励ましたくて。根拠もなく、つい口をついてでてしまう言葉。

 

「初期なんでしょ?」

「きっと、治るよ!」

 

優しさ、ですよね。これも。

「きっと治る!」と信じていることは、とても素敵なことなのですが、ただ、時に「根拠のない期待」は、しんどくもあります。

相手が治るか、治らないかは、あなたが決めないでくださいってことと、

あとは何より、「がんである状態」を否定しないでください。

 

数学が苦手なA君。どうしても、どうしても数学の点数が上がらないA君に「君ならやれるよ!」って言ったら、A君は「何もしらないくせに〜!」「くそ〜!できるやつは、そう言うよな〜」って、思ったりしないでしょうか?

「がんでも(数学ができなくても)OK。それでも君は素敵だぜ」ってとこらへんに、お見舞いのヒントがあるように思うのです。

 

・・・というわけで、

とにかく、心配しているし、相手に元気になってもらいたい!それは、紛れもない本心だ!!!

お見舞いの言葉を伝えたいんだ〜〜〜!

 

というあなたに、おすすめのお見舞い言葉をつづりますね。

(ここまで、お待たせしてすみません)

 

おすすめの、お見舞いの言葉

 

「言いづらいことを伝えてくれてありがとう。」

「今、こうして目と目を合わせて話せていることが嬉しいよ。」

 

まずは、言いづらいことを話してくれたことに、労いの言葉を。そして今、同じ時を過ごせていることへ感謝できると、とっても素敵です。

 

「(心中はいろいろとあるかもしれないけど)がんばって生きてる姿は、かっこいいよ。美しいよ。きれいだよ。」

 

生きている光、その人の生命力にスポットを当てて、声をかけてあげるのも素敵です。明日死ぬかもしれないけど、今は生きている。がんでも、かっこいい、かわいい、きれい、アタマがいい、おもしろい、優しい、一生懸命、がんばってる・・・いろいろといいところが見つかりますよね。

 

「(それが難しいことなのか、望みがあることなのかは分からないけど)まずは心の元気が取り戻せること、病気がよくなることを祈っているよ。」

 

人間は、誰だって「明日がある」「未来がある」ことを前提に今日を生きています。その未来とは、やはり「明るいものでありますように」という希望が持てないと、とても辛い状態になってしまいます。

 

なので、がんである本人に代わって、まずはあなたが「明るい未来があること」を、心の底から信じてあげること。そして腹の底から、希望や祈りをたっぷり込めて声をかけてあげるのはどうでしょうか?言葉には気持ちや力が宿るので、どうか、心をこめて。

 

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「世間話をして、一緒に笑う」というのも素敵です。

 

今日晴れていること、雨が降っていること。暑いこと、寒いこと。タンポポが咲いていたこと。美しい空だったこと。街角に美味しいパン屋さんができたこと。信号がぜんぶ青だったこと。 ・ ・・生きていたら、生活していたら、何気ないシーンのなかに、いろいろな話題があると思うんです。 相手が「がん患者である」といったことを意識せず、そんな何気ないワンシーンに光を当てて、何気ない世間話をしたり、気づいたことを話したり、その時間が楽しいものとなり、一緒に笑うことができたら、最高です! お互いの優しさを通い合わせて、笑顔でその時間が過ごせるように。「がん」が、一朝一夕に治ることがなくても、「笑顔」にはすぐなれるので!

 

それががんなのか、病気なのか、はたまた交通事故なのか。わかりませんが、人間はいつか死んでしまいます。それは、がんであっても、がんでなくても、実は関係がありません。 だから、「今、生きている奇跡」。「今、すぐに見つかる素晴らしさ」に焦点を合わせることができたら、と思います。周りの方はそんな手助けをしてあげてほしいと思います。

 

<番外編> お見舞いで、もらって嬉しいもの

病院へのお見舞いといったら、まずは「花」が思い浮かびますね。 お花は、花粉が出たり、感染症の予防だったり、お世話が必要だったり、、、ということで、トレンドではないそうです。。残念ですね。お花キレイなのに 笑。

 

そんな中、私が実際にもらって嬉しかったのが、「いちご」です。

洗えばそのまますぐ食べられるのがよい!ビタミンCがたっぷり、甘酸っぱくて、フレッシュで、一緒に食べながらいろんな話をしたりして、とっても元気が出ました!

 

「マッサージクリーム」

これは、友人におねだりして買ってきてもらいました。よい香りがするものです。

がんでは、手術の際に、転移がないかどうかチェックするために、リンパを一緒に切除したりするのです。また、転移が見つかったら、リンパの丸っと切除することになります。 すると、むくみやすくなるので、マッサージするように言われるんですね。

もちろん、リンパを取らない手術の場合でも、病院で歩行が少ない生活していると手足がむくんだりしやすくなるので、マッサージができるといいと思います!

 

ただし、香りは個人差があるから難しくもありますよね。お気に入りのブランドや香りがあったら、事前に聞いてもいいかもしれないです。

 

母が入院したときは、「無添加・無香料」というリクエストがあったのでMARKS&WEBの乳液をプレゼントしました。

天然のアルガンオイル(ジョンマスターオーガニック他、いろんなブランドのがあるはず)とかもいいかもしれません。

自分では高価でなかなか買いづらい、質のよいものがおすすめです。

 

 

「チアーアップアイテム」

かわいいポストカードとか、キラキラ光る小物とか、かわいいペンとか、あともちろんお守りも嬉しいですし、枕元に置いて、見ると元気になるような「何か」は嬉しいです♪

 

「本や雑誌」

美容師さんのお友達が持ってきてくれた、好みにあったファッション誌がめちゃくちゃ嬉しかったです。病院って、化粧っ気なく過ごしてるし、ずーっとパジャマ着てるし、女性としてのキラキラを忘れがちなんですよね。でも、この女性としての喜びとかって、ぜったいに体にもよい影響があると思います。

 

そして、母が入院したときには、「ハワイに行ってみたい。」と言ってたのを思い出して、いつかその夢が叶いますように、と願いを込めて、写真がたくさん載ってて、パラパラ見るだけでハッピーな気分になる「ハワイ旅行」の本をプレゼントしました!

 

パッチワークが好きな人には、パッチワークキルトの本、ガーデニングが好きな人には、ガーデニングの本、お料理好きな人にはお料理の本・・・とか、その人のワクワクやキラキラした気持ち、ときめきが感じられるような本だったら、なんでもいいと思うんだけど。絵本とかも良さそうですね。 パラパラとめくるだけで気分が上がる、写真や色が多めのものがおすすめです!

あと、言わずもがなですが、、、現金はありがたいですよ。本当に。検査だ〜なんだ〜、おニューのパジャマ(前開きのやつ)〜・・・とか、何かとお金かかるので。

 

 

<もらって困るもの>「 大量の甘いもの」

・・・突き詰めて考えると、上白糖って、どう考えても体に悪い。病院ではカロリー計算された食事が出るので、どうしても摂取カロリー過剰になるし、特別なリクエストがない限りは、おすすめしません〜。

 

 

 

<番外編> “がんの私” から “今を生きる私” に戻る、”写真”というツール

「がん」と宣告されましたらば、どんなに元気で明るい人であっても、「死」がよぎったり、くよくよ悩んだり、うつうつしたりするのが普通な反応です。

そんな中、「がん」であっても「がん」でなくても、「私は私なんだ!」と、自分を取り戻した出来事がありましたので、この場を借りてご紹介させていただこうと思います。

 

すごく簡単なこと。

自分の写真を撮ってもらったんです。
そして、その写真たちが、びっくりするほど、晴れやかな笑顔だったのです。

 

半分くらいは、なんとなく死を意識しての、遺影写真として
また、あと半分は(というか、本心では)、実際死ぬことはなさそうだけど、乳がんの手術をする前の、きれいな おっぱいの写真を残しておこうという気持ちからでした。

 

初めて写真の仕事をしたときに一緒だった、友人のフォトグラファーに頼んで、セカンドオピニオンにいく直前に撮影してもらいました。

手術が嫌で、嫌で、どうしても嫌で、受け入れることができなかった私は、「がんは、切らずに治す」といった発言をしているお医者さんに、どうしても、どうしても、セカンドオピニオンを聞いてみたかったのです。
でも、そこでも最良の治療法は”手術”と言われて、落ち込むんですけど 笑。

「手術、やだな。」

仕事が忙しいこともあって、セカンドオピニオンに行ったあとも、治療方針を定めず放置すること2週間。
現実逃避の状態がしばらく続きました。

 

でも、そんな中、友達が仕上げて送ってくれた自分の写真を見てみると、
びっくりするほどの笑顔がそこにはあったんです。

「あ、この人大丈夫だ。」

理由は分からないけど、直感で、自分の命を、自分のエネルギーを感じて、心がすごく元気になりました。

 

その写真を、えいやっとFacebookのプロフィール写真にアップしたら、
自分でも信じられないくらいの人が「いいね!」を押してくれて、

「かわいい」とか、
「幸せそう」などと
コメントをしてくださいました。

 

人生で最大のピンチの渦中にいた私は、それでも、人から見て「幸せそう」な顔をして、笑えているんだ・・・。

そのことが、とても励みになりました。

“がん”か、”がんではない”かは、”幸せ”か、”幸せではない”かとは、関係がないというのも大きな発見でした。

“がん”でも、”幸せでいていい”

この事に、誰かに言われたり、諭されたり、慰められたりするのではなく、自分で気づけたことに大きな意味がありました。

 

 

力が欲しいとき。
自分を信じたいとき。
自分をあきらめたくないとき。

今、手の中にある幸せに気づきたいとき。

思い切って、「写真を撮ってもらう」という選択をされることは、とってもお勧めです。

 

ナムフォトでも承っておりますし、
もちろん、家族やパートナーなどの身近な方達に撮ってもらったり、他に頼めそうな方がいたら、その方でもよいのですよ!

 

余談になりますが、
がんになった方も、その周りの方も、
2週間くらい経てば、人間の気持ちというのは自然と変化したりするものですから、
覚えておくと良いかもしれません。

2週間でも変わらないものは、2ヶ月くらい様子をみてみる。
それでも変わらないものは、、、2年とか? え、それだと、長すぎますか笑?

 
 

さて、話を戻して。

私は、乳がん手術の入院中も、写真をパシャり、パシャりと撮って、お化粧してないブスな顔も撮影して、残してあります。

 

退院時に、10日ぶりくらいにお化粧したら、

看護師さんが「すごい、きれいです〜〜〜!」って言ってくださったのも嬉しかったです 笑。

自分が写らなくても、お見舞いに来てくれた人の笑顔とか、きれいな朝日とか、お見舞いでもらったイチゴとか。

「わたしはひとりじゃない!」って忘れずにいられるし、

「今日も美しいものにたくさん出会えた!」って、元気が出るから、おすすめです。

そんな、1日1枚の写真日記は、退院後もずーーーーと、気まぐれに続けています。

#当たり前の日常に光をあてる


1日、1日、生きていることが当たり前ではないし、当たり前の中に潜んでいる幸せなことを、大切に抱きしめて生きていたいなって、思います。

どうか、どうか、写真の力が、あなたの元に届けばいいなっと、願っています。

 

とにも、かくにも。

 

みなさまが「がん」になりませんように。

「がん」になっても、治りますように。

治らなくても、幸せでいられますように。

 

そして、がんか、がんじゃないかはさておき、今、幸せを感じられない人が、明日は一瞬でも幸せなひと時を感じられますように。

「がん」か、もしくは近しい人が「がん」である場合は、

とにかくあなたが元気でいられますように。

ご自分を責めませんように。

生きている素晴らしさや、明るい部分を見つけることができますように。

思いっきり泣いたり、悲しかったり、辛かったり、を吐き出す場所がありますように。

「自分の時間」を過ごすことができますように。

いつでも「自分」を生きていられますように。

 

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いろいろと、願ったり、祈ったりです。

 

 

ナムフォト 楢侑子

(「ナムフォト」には、「写真を心の拠り所として生きる」という意味があります)

 

 

 

 

———プログラム紹介———
Yei! ポートレート / プロフィール写真
あなたのライフに寄り添いながら、美しさを見つけだし、丁寧にその光を写します。
出来上がりの写真を見ると、自分らしく生きることに自信が持てるようになります。
それが、ナムフォトの「Yei!」(イエイ)です。
——————————
Num-work 写真表現ワークショップ
写真をとおして、自分らしさや自分が大切にしたいものに気づけるような、創造の場です。ワークショプ形式で、誰かと一緒に学び合うことで、より自分らしさを受け取れるのも特徴です。
色々なテーマで随時開催中。
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13 thoughts on “友人が「がん」になったとき。お見舞いの言葉に、何て言う?自分が「がん」になったとき。告知するときのマナーって?

  1. 柴田ともうします。
    あなたの文章を拝見し、大きなお見舞いをいただきました。
    ありがとうございました。

  2. 友人への初めてのお見舞いに非常に参考になりました。ありがとうございますm(*_ _)m

  3. 先日、父が癌と診断されました。
    私は2010年から上京して勤め始め、年に1回帰省する時にだけ父と顔を合わせる状況でした。
    そんな中、妹から大事な話があるから電話して良いかとのメッセージが届きます。気になり電話してみると、父が胃癌と診断され骨髄と肺へも転移している可能性がある、という突然の悲報でした。
    昨年の年末に帰省した際はとても元気だったのにと驚きの反面、そうなんだとまるで他人事のように事実を受け止めている自分がいます。
    とても薄情で親不孝な自分を自覚させられて、1日考えてそれからやっと、癌って怖いなと思いました。

    自分の父親が死ぬかもしれないという現実から、何かしたい、何かしなきゃと思う気持ちが先行します。
    ですがこれから自分はどうしたいのか、どうするべきか、何ができるのか。つまり、何かしたいのに何も思いつかないのです。
    今の状況は理解できても、これからのこととなると全くイメージすることが出来ません。
    私にとって癌とはそれほど未知の存在で、その他の病気とは一線を画するものでした。

    そうこうと考えて調べている中、私はこの記事にたどり着き、なかなかハードな身内話をなぜかしています。
    正直なところ、ここまで長々と話す予定はありませんでした。この記事に対して参考になった気持ちを一文だけコメントするだけのつもりだったのです。
    ところが、書けば書くほど愕然としました。
    今の自分の気持ちに対して、なかなか正しい言い回しが出てこないのです。
    あまりにも文章が相応しくない。感謝の気持ちが込められていない。
    そんな目も当てられないような内容でした。
    だからこそ事実と気持ちを確認しながらの文章となりました。

    結局のところ何が言いたいのかというと、私はこの記事にとても心動かされたのです。

    ナムフォトさん、本当にありがとうございます。

    癌である状態を否定しないという言葉には、なるほどなと感心してしまいました。
    状況を理解していても、本人を前に言葉にすることは憚られていたので、目からうろこです。
    ほかにも、実体験をもとにした話が盛りだくさんで参考になります。

    癌に関する内容を親身に伝えている記事の存在はとてもありがたいことですよね。
    日本において2人に1人は癌を発症すると言われているくらいですから、この記事を探している方はかなりの数になるのではないかと思うので。

    最後に
    失礼な言い方ですが「ある程度無関係な相手」だからこそ話せることがあり、話を聞いてもらいたい。
    気持ちの整理をしていたんだと思います。

    世間話をして笑い合いに行ってこようと思います。
    長文、失礼いたしました。

  4. 本日、お見舞いに行く前に拝見出来て本当に良かった。ありがとうございます。

  5. こんばんは。
    このページを見て色々と参考になりました。
    ありがとうございます。
    僕は今Stage4の肺ガンで首のリンパ節に転移して抗がん剤治療中です。肺は放射線治療で少し良くなりましたが首のリンパが腫れてきて毎日不安な日々です。家族や友人の支えでメンタルは大丈夫と言いつつも本音はやはり不安で。
    体調は最近は痛みや倦怠感は薬で対応してますが睡眠時間が長くて心配です。普段の生活をしていてもすぐに眠たくて。もっと規則正しい生活をと思うのですが。
    ガンと診断されて約半年経って僕の生活は一変しました。副作用もあり会社も休職しています。
    頭が痛いと脳に転移した?歩くとかかとが痛いと骨に転移してる?腰がだるいと腎臓に転移かな?とにかく体の少しの変化でも考え過ぎでしまう自分がいます。
    毎日考える事は僕はどうなるんやろ?一年後どうなるのか。半年後どう。1か月。一週間後と時に恐怖が襲ってきます。
    今、毎日の生活を自分のペースで療養して職場復帰を目指していきます。

  6. パワーをいただきました。
    先日乳癌であることが分かり、元気ですがふと止まる毎日を過していて。
    友達にはどう伝えようとか、よく分からないことに悩んでいたんです。
    きれいなおっぱいのしゃしん。撮ります!それと、ここから会うお友達の写真もとります。
    なんだか前に進めそうです。

  7. 今年1月頃迄は癌なんて思いもしませんでした。お乳の形が気になり受診したらあれよあれよと検査され6月には両方のおっぱいがえぐりとられていました。もう年なので平気だと思っていましたが今まで生きてきた自分が恥ずかしく悔しく死んで当たり前だと思ったり毎日とても苦しい。周りはみんなとても優しくそれさえ申し訳ない。痛いのや苦しいのが我慢出来ない自分も恥ずかしい
    こんなコメントを残してる自分も恥ずかしい。でも書いてみたかった。このサイトに偶然出会えて良かった。ありがとう。

  8. とても参考になりました。
    友人が心臓の病気を持っていて、急に止まったりするかもしれないと医師に言われて怖いと言っていて、なんて声をかければいいか分かりませんでした。その話をされたのは電話でだったので背中をゆすったりすることもできないままでやるせなかったですが、今度友人から病気の話をされた時はこちらの内容を参考にして友人のことを支えてあげられたらなと思いました。

  9. 由美子と申します。
    先日、同居している義母が何日か体調が悪く
    一緒に病院へ行き、大きな病院を紹介され、膵臓癌だとわかりました。
    実母よりも慕っていた義母が病に冒されている、とたったひとりで医師の説明を聞いた時は、2度と這い上がれない、それはそれは深い深い奈落の底に足を滑らせた上に突き落とされたような感覚でした。

    入院を余儀なくされましたが、今はコロナで家族の面会も許されません。
    しかし、そんな中、近いうちに抗がん剤治療が始まる為、医師からはどのように伝えるのか、また
    どのような反応を受けるのか心配で堪りません。
    が、たぶん自分たちがその場を見守るのは無理だっただろうと思います。
    ただ、抗がん剤治療は通いなので、自宅で静かに過ごすことになるのですが…。

    このたび このようなナムフォト様のサイトに巡り会え、不運にも不治の病を抱えてしまった人たちの気持ちや口を滑らせて言ってしまうことなどを知ることが出来、ありがたいと思いました。

    膵臓癌の進行は早いと聞きます。
    現に肺に転移しているそうで、余命は半年と言われてしまいました。

    自分自身が壊れそうな心境です。
    毎日なかなか眠れません。
    何度も読み直しをさせていただきますね。
    拙い文章をお読みいただき、ありがとうございました。

  10. お写真が、みんな私の好きな場所・・・光が溢れていますね。素敵で素晴らしいお写真たちに、ほっとしました。
    コロナでこの場所に、行きたくても参れずにいるので、きっとこちらに導かれたのだと思いました。
    私もつい先日、乳癌の宣告を受けました。
    不思議と落ち着いてるのは、これから先の不安を感じないようにバイアスがかかっているのかもなあ、なんて思いつつ。
    家族以外にどう話そう、どういう反応されるのだろう、と思うと、それが本当にしんどいです。
    きっと好奇心ばかりの質問。変な哀れみ。嫌だな。
    とにかく中途半端な他人に対して、とてもイライラしてしまうのが目に見えてるから言いたくない。どうせ何も分からないくせに、と。
    反面、病気は癌に限らない。いつどうなるかなど、誰にも分からない。普通の毎日なんて、普通ではない。
    あらためて日々に感謝するようになったし、
    また、本当に自分が大切にしているものが見えてきた気もします。
    でも、今はこのように大方前向きで楽天的でも、この先自分の考えがどう変化していくかもわからず、不安でしかありません。
    そんな時、このタイミングでナムフォトさんに出会えました。本当にありがとうございます。
    どんな姿になっても、私は私を愛します。

  11. 母が癌で1年ほど前から入院しています。
    先日、いつ急変してもおかしくないと医師から説明されました。

    今まではコロナのため面会不可でしたが、上記のため自由に面会できるようになりました。

    ですがお見舞いに行くと、母が自分の病状について悟ってしまい、落ち込むのではないかと心配しています。母も医師から同様の説明を受けてるとは思いますが。

    今までは毎日LINEや電話でやり取りしています。
    声を聴く限りでは元気な時と変わらないんです。入院中も歩いて売店などに出かけて買い物もしているようで、信じれない気持ちが強いです。

    お見舞いに行きたいのですが、母を落ち込ませるのだけは避けたいのでどうすべきか迷っています。

  12. 昨日、友人から、実は乳がんになったとメールが来ました。
    抗がん剤治療中で髪の毛が抜け、眉毛も無くなりそう。でも癌になってからの方が心は前向き。あなたも健診は受けてね。
    と言う内容でした。
    とても大切な友人なのでショックだったし、同級生が癌になる年齢になってきたのだなと思ったり、子供も小さいのにどうしているのかな、等々…いまだに気持ちがまとまりません。

    何と声を掛ければ良いのか分からず、考えに考えて返信をしました。
    (驚いた。連絡ありがとう。何と言っていいのか分からないけど。私も健診受けるね。等の内容です)
    その後、友人から返信がなく、私は何か失礼な事を書いてしまったのかな…と悩んでいます。
    (とは言え連絡が来たのも昨日の事なので、まだ何とも言えないのですが。)

    自分が癌になったわけではないのでどんなに考えても想像の域を出ず、友人の心に寄り添う言葉を掛けてあげられません。
    とにかく良くなって欲しい、また笑って話せる日を心から信じています。

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