「この街に生まれてきたのさ〜♪」という出だしの、歌があります。
いえ、正確にいうと、まだ歌になりきれていない、
歌詞と、一部メロディーが手元にあって、
誰か、作曲してくれる方はいないかな、と、ぼんやり考えている、そんな歌(仮)が、あります。
生まれ育った街。ではなくてもいいのですが、
自分が過ごした街、というのは、
自分で気づかない間に、少しずつ、少しずつ自分に染み込んで、交わり、
「原風景」を持たせてくれますね。
良かろう、悪かろうは置いておいて、誰にとっても、印象的なものなのではないかと思います。
私は、生まれた街、生まれ育った街(幼少)、生まれ育った街(青春)、学生〜社会人を過ごした街、社会人時代を過ごした街、、、、というように、細切れに街が連なっており、さらにじいちゃん、ばあちゃんがそれぞれ住んでいた街、先祖が眠る街、てんでバラバラなため、
「ここが故郷だ」という絶対的な街が存在するかというよりかは、複数の街に支えられて、ミックスされていることが、自分の個性であるとハッキリ感じており、いろいろな葛藤があった時期もありますが(方言が喋れなくていじめられたとか)、今は満足をしています。
ただ、その「故郷」というものへのこだわりと言いますか、人生の中で占める割合、故郷というものの捉え方は、本当に人によってそれぞれなんだなぁと感じたのが、3.11の震災でした。
「その街にとどまるか」
「この街を離れるか」
特に、福島で避難勧告が出された地域の方々は、そのシビアな選択に悩まされ、ひょっとして今も悩みの渦中にいるのでは、と思うのですが、その中で「福島を離れない」という選択をされた方も存在するということに、
自分がその立場に生きていたら、おそらく選ばないものであろうその選択に、とても驚きました。
「この街で、生きたい。」
「この街じゃないと、生きることができない。」
目に見えぬ、影響の測れぬ「原発事故」という恐怖を背負いながらも、
「この街じゃないと。」と、感じさせるパワー。
「故郷」の、偉大さといったら。
本来、「私」と「街」は別物です。
「私」には二本の足がついていて、どこへでも自由に歩いていくことができ、別の場所へ止まることができます。物理的には。
ただ、そのことを知らない、気づいていない、気づくタイミングがこれまでの人生でなかった方々がたくさんいて、というか、日本の人口のうち半分くらいはそういった方達でできているのかもしれないなぁと、思いました。
それが、幸せか、不幸せか、
ということは、本人の中にしかないので話題にあげるつもりはありませんが、
「街」には、気候、風土、食文化、景色、人間関係、思い出・・・etcいろいろなものが丸っと含まれていて、人生そのもので、結びつきが強ければ強いほど、「私」になるという、事実。
「田舎」と呼ばれる場所は「自然がいっぱい」で「自然である」のかと思いきや、人間が植林したり、田畑を開墾したり、人間の手がかけられ、それが営みに組み込まれている以上、やはり「街」なのだと思います。
田舎か、都会か。
自然があるか、ないか。
きっと、そういう範疇ではない、「街」というもの。
電車から見える街の風景、自転車で通り抜ける路地裏、友達が住む、街。
あちこちに人間の営みと一体化した、街の息遣いが聞こえてきて、
「街」は生きているように感じます。
なので、冒頭の歌。
「この街に生まれてきたのさ〜♪」という出だしではありますが、
むしろ、私で言えば、生まれた街の記憶はなく、(あるのは、大きくなってから訪れたときに見知ったもの)つまり、物理的に「生まれた」かどうかは重要ではなくて、「私が生きていた大切な場所」を思い浮かべながら、きっと、それは万人にとって大切で、生きていく上で必要なものだから、
そんな、街を愛している歌なんです。(まだできてないけど)
・・・作曲者、求ム!
<余談>
東西線の落合駅の近くに「多幸兵衛(たこべえ)」という、
明石焼きとおでんが美味しい小さなお店がありました。
年配のご夫婦がふたりで営まれており、毎日、毎日カウンターがぎっしり。
阪神大震災のあと、地元ではお店が続けられなくなり、東京へ移転されたそうです。
あるとき、ふと思い出して「また、行きたいなぁ」と思って調べてみたら、閉店。
なんでも、東京で十分にお仕事され、お店は引退し、
慣れ親しんだ神戸の地へとお戻りになったそうです。
そして、今では、別の方がそのお店を引き継ぎ「多幸兵衛プラス」として営業されてます。
・・・こちらには伺ったことがありませんが、
一生懸命、働かれて、東京の人々の胃袋を優しく満たして、満をじして閉店。
素敵な生き方だなぁと思って、余生を幸せに暮らしておられるといいなぁと、思ったりします。