「分かってほしい」「分かってもらえなくて、辛い」「分かってもらえて、嬉しい」は、自分へ向けられたものだった。

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ナムワーク!!!

「ナムフォトが開催する、ワークショップ」 を略して「ナムワーク」!!!

6月25日(土)、7月2日(土)開催しますよ☆

内容の詳細はこちらからご覧ください。

 

っていうか、応募フォームが、できてなくて、間に合わせのものなんですけど、、、

ごめんなさい!取り急ぎ、お知らせ!!

 

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世の中には、テクノロジーがどんなに進化しても、及ばない範囲というのが、ありますね。

 

「自分の姿を、自分の目で見ること」もその一つです。

鏡や、写真は、すべて光の反射が映ってるいるだけで、それは虚像であって実像ではありません。

 

これはなぜだろう?と考えるのですが、神様(の様な存在)が、「必要ない」もしくは、「あると良くない」と判断されたからなのかもしれません。

なーんちゃって。

 

「わたし」が「社会」で生きていく順序

————————–

・段階1

「見る」(自分以外のモノ)

「聞く」(自分以外のモノ)

 

・段階2

「感じる」(これは自分の内側で行われる)

「考える」(これも自分の内側で行われる)

 

・段階3

コミュニケーションする

「目を合わせる」(自分軸と、他者軸の2者間で、「視線」というツールをとおして行われる)

「話す」(自分軸と、他人軸の2者間で、「言葉」というツールをとおして行われる)

 

・段階4

「表現する」(自分が、外側に向かってエネルギーを発すること。他者の目を意識した行為でありながら、軸足がしっかり自分自身に刺さってないと成立しない。)

└歌う

└踊る

└絵を描く

└写真を撮る

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ちょっと、乱暴かもだけど、これがそれぞれの行為の成り立ちだとすると、神様(のような存在)からのメッセージは、こんなかんじ?

 

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①「見る」「聞く」は、自分以外のものをよく見て、よく聞きなさい。

②「感じる」「考える」は自分で行いなさい。

③「話す(ほか、コミュニケーション)」は、自分と、他者と、双方協力して行いなさい。②と行ったり、来たりするがよい。

④「表現する」は、①〜③を踏まえて、自分から世界へ向かって何をどう行うか、よ〜く見て、感じて、考えて、他者と協力して行いなさい。

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「生きる」ためには、「食べる」とか「触れる」とか「装う」とか、もっといろいろな要素があると思いますが、ちょっと置いておいて、「写真」のすごいところは①〜④が包括されてて、しかも誰でも簡単に、一瞬でできるところ!です。

 

写真は、誰かに見せなくても、(もちろん見せてもいい)、誰かに評価されなくても、(もちろん評価されたら、それはそれで嬉しいことですが)とっても嬉しい存在です。

 

「写真」があって、今の私がいる。っていう体験を通して。

「ナムフォト(名前はまだなかった)がやりたい!」と思ってから、ずーーーーっと考えたり、試作したり、お試しで受けてもらったり、もう少しライトなテーマで写真ワークショップを開催したりしてきました。

そして、私自身も、ワークを組み立てながら、ワークを行って、ワークを組み立てながら、解放や、新しい気づきがあるいという笑。

 

少しずつ、少しずつ。

今、私の人生で、なんだか、こんなことが起こっています。

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苦い思い出や、辛く感じてた過去が、ふんわりと蘇ってきて「あぁ、これは、こんなにも尊い経験だったんだなぁ」とか、「この部分に、愛が込められていたんだなぁ」とか、「愛おしいなぁ」とか。

別の角度から光を当てて見つめられて、胸の奥がじぃ〜〜〜んとあたたかく。

 

イタかったり、大き過ぎたり、抱えきれなかったものが、今だと、受け止めてあげることができる。

 

今なら、感じて、考えてあげられる。

そうすると、なんだか、心の奥底が、軽くなる。。

 

めっきり思い出さないし、忘れたと思いきや、タンスの奥底にしまい込んでただけで、「ある」のだなぁ、と。

それを、また綺麗に洗濯してアイロンあてて着てあげることもできるし、手放すこともできるし、リメイクすることもできる。

かなり自由です。

 

今、満足する形で選びなおせると、「黒」だった過去が、気づいたら数珠繋ぎ的に「白」に変化しています。

 

そんなことがたくさんあります。

 

そして、最近。

自分のことながらお恥ずかしゅうございますが「キレイになった」「かわいくなった」「雰囲気が変わって誰だか分からなかった」などといろんな方に言っていただけて、わぉ〜、なんだ、これ!って思ってます。。

私自身は、いつでも私と一緒にいるので、そして、自分の姿を自分の目で見ることが出来ないのですが、心はとっても軽くなりました。先の見えない、売上も見えない「ナムフォト」なんて会社まで始めちゃったのに、毎日ウキウキしてます 笑。そして他人の目から見ても、変化が起きているんだなぁと、驚いています。

 

過去、どちらかというと私の人生オセロは「黒」の存在を多く感じていましたが、もう、どんどん「白」にしたいです。

 

生まれてから、ずーーーーっと白優勢で、そのまま人生を終えることができる人もたくさんいるし、それが出来たら、それが一番いいなぁって思います。

 

でも、「黒」の存在を知っている「白」は、なんていうか、より「白」を立体的に理解したり、語ったりすることもできるのではないかと、そんなことも思います。

 

あと、「黒」から「白」に変化するのは、変化してみると、思ったより、ずっと簡単で、まず手始めにどっか適切な場所に「白」を置いてあげるだけで、どんどん「白」が始まっていきます。

 

大人になるということは。黒に勝たせるも、白に勝たせるも、自分で責任持ちなさいってことなのかもしれません。

 

「ナムワーク」に限らずですが、「感じる」「考える」を、誰にも遠慮せずに、しっかり自分の内側で消化していくことで、誰にでもすごくいい変化がたくさん起こるのではないかと思います。

 

「ナムワーク」では、写真と人生を、行ったり来たり、照らし合わせながら。

そしてまた、人生を掘り下げる際にはワークシートに掘り下げる項目や、立ち止まってしまった時には、自分への「問いかけの言葉」を用意しておきますので、優しく、真正面から、自分に聞いてあげてほしいと思います。

 

心の奥にいる、本当の声を聞いてあげてほしいと思います。

 

私はカウンセラーではないのですが、「人生、ぜんぶありだよね」って包容力でもって、お待ちしております。

 

これまで、インタビューや取材のお仕事を通して、その人の本質がどこにあるのか、質問を投げかけて、掘り当てるという作業をたくさんしてきました。

 

私が「ここら辺かな?」と思って何事かを掘り当てると、当の本人はもっと「あっ!そうか、なるほど!」ってかんじで、もっと大きな何かに思い当たります。

 

「お!ここにサツマイモあったー!」と思っていたら、本人は、その先の、先の、先にあるサツマイモまで、ずるずるっと掘り当てているようでした。

 

そんな経験から思うのは、

「分かってもらいたい気持ち」

「分かってもらえなくて、辛い気持ち」

「分かってもらえて、嬉しい気持ち」

 

これらは「他人」ではなく、他でもない「自分」へ向けられたものなんだろうなぁということ。自分自身がしっかり分かってあげて、しっかり光を当ててあげることで回復して、さらに次へ進んでいけます。

 

逆に言うと、いくら他人が何かを言っても、分かってあげたくても、本人が気づかないと、本来の輝きはでてこないんですよね。

 

他人に求めると、どんどんしんどくなりますね。なぜなら、他人は、そのヒトの意志があるから、自分の思い通りには、絶対にならないのです。

 

自分にしか届かない階層までしっかり、たどり着いて、「幸せな暮らし」や「理想の生き方」へ、現実生活の中で近づいていく、本質的にコミットする、そういったことが起こることを祈っております。

 

そんなこんなで、「人生をより良く変える」ための写真ワークショップです!!!

 

次回は、私だけじゃなくって、写真のワークショップで人生にいい変化があった参加者のみなさんのお話を共有させていただきます♡

 

 

 

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