ちょっとだけ目を合わせる「愛」の形。

Posted on Posted in ナム哲学

目を合わせること。

誰かと目を合わせること、あなたは平気ですか?それとも苦手ですか?
ナムフォトは、、、ちょっぴり苦手です。
というのも、慣れないかんじ。思い起こすと、目配せしたり、目を合わせることで相手を安心させたり、そういう習慣を、知らずに育ったんです。

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家にいて、家族と目が合わない。
「おはよう」「ありがとう」を言わない。

・・・そういう家だったのです。
(ということは、両親もそういう家で育ったのかもしれません。聞いたことはないですが。)

当時は「そういうもの」として育ったので気づいてなかったのですが、寂しかっただろうと思います、当時の私。
そして、知らない間に
「誰も目を合わせてくれないから、私も合わさない。」
傷つかないように自分を守る術として、そういう習慣が、身についてしまっていたように思います。

普通に、ちょっと目が合って、会釈したり。
嬉しいですよね。
そこには、ほんの一瞬だけど、温かい気持ちのやりとりが起こっています。

こういったことが普通にできる人からすると、
「相手が目を合わそうとしない。」
という態度は、
「自分のこと嫌いなのかな?」
というようにうつりますよね。

私の場合、仕事などで明確に「相手と意思疎通を図らないといけない」場合は、難なくできるのですが、それ以外の日常生活において、自然に目を合わせる、、、というのが、怖くてできなかったのです。

そして、カメラを持つと、その場合も出来てしまうという。。。
写真が好きな方で、コミュニケーション下手(と本人が認識している)方は意外と多いかもしれません。
「人とコミュニケーションをとるためのツール」としての写真。

ただ、カメラを持っていなくても。
ちょっとだけ目を合わす「愛」の形。
ちょっと目が合うことで得られる安心感は、良いものです。

相手目線に立ったときに、
「自分の視線が、相手にそういった、安心感や、良い影響を与えることができるんだ!」
と気づいて、そしたらなんとなく、できるようになってきました。

大人になってこんなことに気づくなんて、恥ずかしいかな?と思ったりもしましたが、大人になって箸の正しい持ち方を覚える方もいらっしゃいますし、気づいたときが、チャンスかな、と思います。

「目は口ほどに物を言う」は、本当にその通りだと思います。
これは、ナムフォトにとっては、いいことわざ!

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視線。

落ち着いた気持ちで、ただ、ちょこっと視線を合わせる。
タイミングが合わなくても気にしない。相手が見てくれなくても気にしない。何も期待せずに、ただニュートラルな気持ちで行う視線のコミュニェーションは、生活の中の、人間関係を良好にしてくれるものではないかな!と思います。

余談ですが。

赤ちゃんって、「今、自分を見てない」「今、自分に関心がない」ってことにすっごく敏感ですよね。
「もっとくれ〜、愛をくれくれ〜、俺を見てくれ〜!!!」と、ビュンビュン泣いてます。これに24時間付き合っておられる全国のお母さん、お父さんは、本当に、本当におつかれさまです。。。
できる範囲で、そしてみんなで、自分を見つめることも忘れずに、赤ちゃんからも受け取って、「みる」という愛が循環するといいなぁと思います。

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保育園が増えることに、賛成派のナムフォトでした。(なんのこっちゃ)

さらに余談ですが。
「目」は英語でeye=アイ=愛!!!!
ってことを発見して、ちょっと嬉しくなりました。(なんのこっちゃ)

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