突然ですが、わたしの24歳のときの夢が「編集長」でした。
「どうしたら、編集長になれるんだろう?」というテーマの元、ずいぶん色々なメディアを転職し続けていました。様々な媒体で編集の仕事をしながら、メディアが広告収入モデルで成り立っているという「事業性」を考えたときに、この形ではわたしが思う「幸せ」が実現できないと思うようになり、地域活性化やコミュニティデザインの現場へ突入、気づいたら、ナムフォトをやっています。
現在のメディアの事業性を見つめてみると、今もなお広告収入モデルであるものが大半です。あと、最近では、会員制のサイトとそれにスクール事業を併せ持ったケースも多くなってきました。
この事業の形だと、まだわたしが思う「幸せなメディア」は、まだ実現できないように思っています。なぜなら、「数が多い=良いこと」という図式から抜け出せないからです。
情報の受発信のやりとりを、直接的な金銭のやりとりで結びつけるのではなく、もうひとつ大きな価値を持った、循環の輪の中に放り込めないか?ということを考えています。「写真の力」を使えばそれができるのではないか?とも。
理想だと思う事業の形はまたの機会に書かせていただくとして、まずは、「ひとりひとりが、数に左右されずに、ありのままの自分と繋がる・表現する」ということこそ、未来のメディアをつくるなぁと感じており、そのあたりをまとめてみました。
もしよければ、お読みください。
【メディアの成り立ち】
突然ですが、「メディア」という言葉の起源をご存知でしょうか?
元はmiduimというラテン語。英語読みするとミディアムとなり、意味は「間にあるもの」「媒介するもの」「中間」など。
例えば、AさんとBさんの、それぞれの気持ちや考えをやりとりする「そのこと」や、もしくは、神様的な存在人々を取り持つような、シャーマンや巫女を指す言葉としても使われていたようです。
それが、こんにちではテレビや新聞、ラジオ、ネットやモバイルといった、
「情報伝達手段」を指す言葉として、広く使われるようになりました。
この先の文章では、本来のメディアの意味であるAさんとBさんの気持ちのやりとりを媒介するものを「メディア」。
情報伝達手段を指すメディアを『メディア』として話を進めてみたいと思います。
【現在のメディア事情】
個体として生まれた人が、他者と気持ちや考えを伝えあい、支え合い、人間として生活をする。そのために必要不可欠な「メディア」。
コミュニティが小さいうちは、口伝えでまかなえていたことが、時代を超え、人間のコミュニティや移動距離が拡大するにつれて、保存性や拡大性のある伝達手段が求められるようになり、瓦版や、巻物や、いろいろなものが登場し、ニュースペーパーができ、ラジオ、テレビが生まれ、さらに1990年代にはインターネットが生まれ、今に至ります。
「メディア」の機能を拡大するうちに誕生した『メディア』。常に情報が循環する仕組みとして、これを運営すること自体を産業にするという工夫が生まれました。
《メディアの工夫:1》
①情報を発信する技術(ライター・カメラマン・編集ほか)を持った人を専門職へ
②専門職の人たちがごはんを食べられるように、情報を発信したい人(広告主)から、お金を得る仕組みづくり
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《起こった変化:1》
情報を発信したい人と、情報を受信する人の二極化が進み、お金をたくさん持ち、広告を出す人の気持ちや考えが、世論として通りやすくなりました。
《メディアの工夫:2》
お金を持っていなくても、広告を出さなくても情報を発信したい人はいます。それまでは情報を受信する側の人も、個人の声を伝える仕組みが登場して(blog、SNS、Youtubeなど)みんな、思い思いに伝えたいことを発信をするようになりました。
①プロもアマも、発信者になれるように
②『メディア』を支える広告収入を、小さく、細かく、たくさんの人から取る仕組みが誕生
↓
《起こった変化:2》
世界をとりまく情報量が一気に増え、情報の内容も千差万別。
ところが、変わらず人間の持ち時間は1日24時間です。いくら人生100年時代といえども、せいぜい2〜3倍の話で、これは情報量の比ではありません。
また、日常生活のすべてが即「情報化」されたり、「いいね!」といった「投票」が日常的に行われるようになりました。また、多数の人と「コミュニケーション」が常時行われているような世界にもなりました。
↓
《メディアの工夫:3》
情報も取捨選択が必要だというあり方を反映する仕組みとして、自分の好きな『メディア』にお金を支払い、直接的に発信者を支える形が生まれました。
(会員制のアメブロも、noteも、会員課金制のニュースサイト、Netflixも)
また、自分にとって居心地のよい距離感やコミュニティを求めて、『メディア』をあちこち移動するようになりました。
↓
《起こった変化:3》
新しい『メディア』が、ますます、どんどん加速的に増えています。
使い方によっては、無限の広がり。
『メディア』を使う個人のあり方が、合わせ鏡のように返ってくる場になっているかもしれません。
【『メディア』が変わっても、変わらなかったもの】
前段では、『メディア』の変化を追いましたが、これだけ形を変えても、変わっていない、たった一つのことがあります。
それは、『メディア』の世界では、概ね、数字が大きいことが良いとされる世界であることです。(伝達した数、ページビュー数、いいね!、フォロワーなど)
数字が大きいものの中に、とっても良いものがたくさんあることはもちろんですが、数字を取るために、「真実はどうであるか」「私が本当に思っていることは何であるか」といったことよりも、「社会が求めているのは何か」「私は、どう思われているのか」といった、他者目線に重きを置いた判断がされているケースも多いように感じられます。
これが多くの人にとっての「生きづらさ」につながっているのではないかな?と、感じることも。
これらのことを踏まえて、
一度、『メディア』の指標として長い間変わらなかった「数字が大きいことが良い」とされている世界から、本来の「メディア」の意味が持っている、誰かと、誰かの気持ちがやりとりされている、その深度や度合いを大切にする世界に戻ってみてはどうかと感じるようになりました。
それこそが、「愛」に近いものではないかと。
【『メディア』ではなく、「新しいメディア」をつくりませんか?】
私は、メディアが大好きです。
写真もメディアのひとつであるし、メディアに救われた経験があるから。
「メディアの世界を、もっといいものにするとしたら、どうすればいいのだろう?」とずーっと考えており、
最初は、『メディア』の中でどんなコンテンツを発信するのか、という内容そのものに注目をしていました。
最近は、『メディア』でもない、現在の世界に根ざした「新メディア」を作らないと、わたしが「いいなぁ」と思う世界はつくれないのではないか、と思っています。
つまり、「数」が重要視される『メディア』の世界から、
AさんとBさんが、心から分かり合えたり、理解し合えたり、共感し合うための、本来の「メディア」の世界を、今のテクノロジーで作れないのかな?=「新メディア」と、そんな具合です。
100人の人に20%伝わる経験よりも、たった一人の人に、99.9%伝わる、理解される経験こそが、生きる力になると思いますし、
また、「ありのままの私が、人に理解された!」という経験は、二人、三人と仲間を募る力になると思います。
- 今、必要とされている と、思うメディア
1)
現在:
どう反応されるか?という他者目線や承認欲求がベース
↓
理想:
まずは、自分が何を感じているか
ありのままを、素直に表現できるメディア
「承認欲求」の話になると、よく「承認欲求は誰の中にもあるから、否定できない。少しくらいあってもいいのではないか?」という意見を聞くのですが、否定は一ミリもしておらず、誰の中にあって、わたしの中にもあって、あるものは、あるのだと思います。ただ、「承認欲求」という価値観を採用してしまうと、わたしの幸せがほかでもない誰かの手に委ねられてしまい、わたしがわたしを幸せにすることができない、それが問題なんですよね。「誰か」ではなく「私が」という起点から、社会と繋がれるほうが豊かであるはずです。
2)
現在:
フォロワーやビューワー数などの数値的指標
↓
理想:
心の震えや魂の活性化などを目的にしたメディア
偉人伝を読むと、最初はみな、たったひとりの変人です。純粋な変人性を長期に渡って持ち続けた人に、大きな数字がついてくる。この形は、本人も、周りの人も幸せだろうと思うのです。
たったの一言、たったの一枚写真、一編の詩。小さくても、誰がなんと言おうと、自分の心が震えた事実、そこから生まれたものであれば、それを見て心を震わす誰かがいるように思います。そういったものを丁寧に拾い集めることができれば。
3)
現在:
時間的依存度や中毒性、バーチャル世界
↓
理想:
精神的な拠り所としての依存度が高いが
現実を生きる、現実を変える手助けになるメディア
『メディア』を産業として成り立たせるため、いかに時間的に依存させるか、といった工夫が、各媒体目白押しです。だけど、バーチャルは実世界の体験を超えることがないと思うのです。それは、人間が身体を持ってこの世に生まれてきた、条件であり、変えられないことです。
だから、『メディア』が楽しい世界であることよりも、現実世界が楽しい世界であることこそが、重要。メディアはそれを助ける存在でありたいものです。
1)〜3)を満たすメディアをどうしたら作れるでしょうか?
【まずは、ありのままの私とつながることからはじめよう】
ありのままの私が何を感じているか、何を考えているかを正確に理解し、
それを素直に表現する。
やっぱり、何度考えても、スタートはここから。
そして、たったそれだけのこと、のはずが、「他者や社会にどう見られるか」といった思考を捨て、「ありのままの私」を社会で表現することには、ある程度の勇気と強さが求められます。
慣れていない人、これまで人生でやったことがない人にとっては、おそろしくさえ、感じられると思うのです。
ですが、表現し得ない限りは、他者と99.9%の共感や理解を得るという、とっても嬉しい、生きててよかったと思えるような体験はやってこないわけなので、もどかしいところです。
すでに、社会に向かって、何事かを表現できている人にとっても、「アイ」が巡るメディアがあれば、日々自分も勇気づけられるのではないかな?
「幸せ」や「愛」の存在になること、そういう状態でい続けること、本来は、そんなにむずかしいことではないかもしれない、と思う一方で、
ただ、とても慣れていないのです。
「写真」を使うと、幾分それがナチュラルにできるようにも思います。
思考よりも、感性と結びつきやすい媒体だからです。
なるべく自然に「アイ」を発見して、安全な場所で表現をして、自己開示の準備ができたら社会へ向かって発信していけるような仕組み。
それができたら、それこそが「新メディア」の基になるように思っています。
【新メディアをつくるための、ワークグループ・メンバーを募集】
5/13に、これらのことを実験するワークグループを立ち上げ、今日現在2週間ほど運営をしていました。そして、この2週間の間で、ずいぶんと多くの気づきがありました。
かなり良い感じなので、さらに改良した形で、もうひとつワークグループを走らせてみたいと思っています。
興味がある方は、ぜひご参加ください。
そして、体験してみてください。
ありのままの私を、素直に表現できるようになったとき、
現実世界が少しずつ、良い方向へ変わっていくように思います。
名付けて「アイのポスト」。
参加方法などは、こちらからご覧くださいませ。 ※ちなみに無料です。
お読みいただき、ありがとうございました。