世界をどう見て・どんなエピソードが語るかで、自己認識も、現実もまったく変わっていく。そんなことを、ある論文を読んで深く感じました。
【論文】古長紗恵(2024)「写真を活用した自己理解についての研究の概観 −自閉スペクトラム症者への適用に関する検討−」
https://researchmap.jp/30516?lang=en
この論文の趣旨は、写真を用いてASD者の「自己認識や自己理解」を促進しようというものでした。
私が読んでいて感じたのは、二つのことです。
- 写真を使った自己理解ワークは、ADS者に有効そうだ
- むしろ、私たちの方が、ASDの人たちの世界の見方から学ぶことが多いかも?
論文の主張の要約
古長(2024)によると、ASD者には以下の特徴があるとのこと。
- ASDの記憶は、行為の主体者が自分か他者であるかが影響しない
- ASDの記憶は、視覚優位で、過去の経験に対する言語的な意味づけや解釈が少ない
*「自己理解」について
「自己理解」には、エピソード記憶と呼ばれる、「私は、これこれを経験して、こんな感情になって、その後どう行動した」などの過去の経験をもとに自覚している自己と、そうしたエピソード記憶・社会的な役割、内省や内観したときに浮かび上がってくる側面など、全てを統合した理解が必要です。
*写真を用いたエピソード記憶の言語化について
写真を見ながら、その内容を分析したり、さらに写真を見ながら対話することで、ノンバーバルだった思いや生活環境などが言語化しやすくなります。結果的に自己理解や相互理解が深まっていく可能性がある…
私も、健常者対象にそうしたワークを多数開催し、人の変化を現場を見てきたため、ADS者であってもその可能性があるなぁと共感しています。
ADS者の世界の見え方の可能性
ASD者は、「過去に対する意味づけ」が少なく、今をありのまま受容しているという感覚を持っているとしたら、
それって、ある意味「エゴ」を抜けた、共同体感覚が備わっているといえるなぁ。
目の前の事象を、見たまま・そのまま受け取ることができるって、これは現代人が憧れる「究極のマインドフルネス」なんじゃないかなぁ。
と、そんなことを感じました。
*行為者ー観察者バイアスについて
ここで、心理学の知識を一つ。「困った行動をとる他者」を見ると、「行為者ー観察者バイアス」が働き、困った行動をとる原因を、その人の人格やパーソナリティに紐付けしやすいことが分かっています。
また、自分自身の「困った」状況は、環境や他者にその原因を帰結しやすいことも分かっています。
二つの例はこんな感じです。
・遅刻したAさん:自己中心的で、時間なんかおかまいなしに平気で遅刻
・遅刻した私:出がけに電話がかかってきて、、、電車が遅延して、、、
ASD者の視点からこれを見ると、私の遅刻も、あなたの遅刻も、「みんなとは違うタイミングで部屋に入ってきた私orあなた」となりそうです。
なんだか、とっても平和な世界。
私たちの方がASD者の世界の捉え方に近づいたとき、私たちは、今生きている現実や社会的な役割をどう認識し、何を創造し始めるんだろうか、と興味を持ち、雑感を記しました。
みなさんは、どう思いますか?