「お金」はひとつのエネルギー。気持ちを整えると、やりたいことも、お金もついてくるというお話。

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「黄色いものを身につけると、金運が上がる」なんて言いますが、どうなんでしょうかね?
金運と、バナナでお通じ運も上がりそうな黄色いキャップを購入しました。

ロケ撮影のときなどに、活用しようと思います!

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さてさて、お金のはなし。

「お金」はとっても大切。

お金ってなぁに?ということを突き詰めて考えると、それは「ひとつのエネルギー」なのだな、ということを最近ヒシヒシと感じている、ナムフォトの楢です。
自分から、いいエネルギーを発していると、いいお金が、思いがけないところから、入ってくる。自分が、お金を至上最高のものと思い込んだり、お金がほしいと思い過ぎたりすると、逆に逃げていくと、そんなことを感じています。

人は、生活する中で、生きている中で、様々にエネルギーを交換し合って生きています。

「これコピーとっといて!」
「はい、課長。できました。」
「ありがとう。」

とか。

「ママ!お腹すいた〜!今日の晩ごはん、なぁに?」
「豚カツよ〜。いっぱい召し上がれ!」
「もぐもぐ、美味しいな!」
「お仕事がんばってるお父さんにも、お肉いっぱい残しといてあげましょうね。」

とか。

そういうやり取りの、全く同じところに「お金」という、非常に目に見えやすい、数値化していてその量が表現しやすいエネルギーが存在します。
もし、今お金でちょっと辛い思いをしていたり、先のお金が心配で、いてもたってもいられないとか、そんな方がいたら、ぜひ、まずは騙されたと思って、具体的に「お金」を考える前に、「自分のこと」や「自分が発しているエネルギー」に注目するといいと思います。

お金についてのトラウマを持っていた、知り合いの女性。
今では、毎日楽しそうに暮らしていますが、20代のときは、大変だったと言います。

彼女は、まず「音大に行きたい!」と志した際に、親に大反対をされます。
両親には、どうしても「音楽」という道の先に将来の仕事があるようには思えず、そしてまたその授業料の高さに頭を悩ませてしまったんですね。
「あなたに音楽で食べていける才能があるとは思えない。将来苦労するのは目に見えているから、辞めなさい。」
「音大の授業料、いくらするか知ってるの?そんなにかける意味があるの?」
しまいには、言いました。
「なんで、あなたが好きなことをするために、お父さんとお母さんが我慢しないといけないの?」

その家庭には、音大に行くための「ゆとりのお金がない」こと。
お金がないなりに、真面目にコツコツと働き、生活を成り立たせていた。
それなのに、その女の子が「将来性のない、自分の好きなことをしようとしていること」が、どうしても我慢ならなくなってしまった、母親の一言でした。

その一言は、「何かの弾み」だったのかもしれませんが、長引く話し合い、言い争いの末、女の子が両親に対して心のシャッターを下ろしてしまうには十分過ぎるものでした。
だからと行って、音楽の道をあきらめてしまえば、その子は、何のために生きているのか分からないほど、無意味な世界です。自分を殺さないために、彼女は、自分の力で音大へ行くことを決めます。

「両親には、この先ずっと頼らない」
「お金は、自分で稼ぐ」

そして、そう決意をするものの、知らずと潜在意識に根付いてしまったことは、二つ。

「私は、音楽で将来食べていく才能がない」
「私が自分の好きなことをしようとすると、身近にいる大切な人を傷つける」

なんとか、晴れて音大へと進みますが、入学してから、とっても大変な日々が続くそうです。

物理的には、お金がないこと。
授業料のほかにも、スタジオ代や、衣装代、勉強のため、コンサートへ出かけたりと、何かとお金が要りようです。周りには、裕福な家庭の子が多くて、少なくとも今日・明日のお金に苦労するようには見えない友人に囲まれ、「なんてみじめなんだろう」という気持ちを味わいます。

そして、自分に自信が持てないこと。
「才能があるとは思えない。」
もっとも身近で、影響力の大きな両親に言われた、その言葉が、ずっと、ずっと彼女の潜在意識をとらえて離しませんでした。

頑張りが少しずつ形になり、少しずつ音楽の仕事がきたり、チャンスが巡ってくる場面もありましたが、「ここ一番」の大切なときに、自分の本領を発揮できない。ライバルに、その座を持っていかれる。

そういったことが、ずっと続いていたそうです。

彼女は、その後、身体をこわしてしまい、音楽をやめてしまいます。

音楽をやることが喜びで、音楽が大好きであったはずなのに、
音楽をやればやるほど、自分に自信が持てなくなり、辛くみじめになっていき、疲れ果ててしまったのでした。

そのときのことを振り返りながら、彼女は言います。

「お金もない。才能もない。だから、私は人の3倍頑張らないと、認められない。」
いつでも、自分にそう言い聞かせていたように思います。
そんな風に思い込んでいる人には、そういう現実しかやってこない。当時作曲したもの、演奏した音源。今振り返ってみると、なかなか良いんですよ(笑)
あのとき、自分の才能を信じる強さがあれば、私はもっとメジャーな世界で活躍していたかも(笑)。

一度、音楽をやめて。
会社に入り、真面目にコツコツと働く道を歩みます。
「寝て、起きて、会社へ行って。求められている仕事をして。職場ではあまり話さずに、家に帰ってくる。そういう生活でした。ただ、毎月安定したお金が入ってくることは、心の支えでもあって、好きな映画を観に行ったり、旅行へ行ったり、“音楽一色”のときは我慢していたことを、少しずつ楽しみだしてから、世界が少しずつ広がっていきました。」

自分の心が喜ぶことを、少しずつ生活に取り入れながら暮らしていると、心が落ち着いてきて、音大時代の自分を、冷静に振り返ることができるようになりました。
「今、メジャーな音楽シーンで活躍しているわけではないけど、あのときの私は、本当にがんばっていたなぁ。立派だったなぁ。」
そして、そう振り返ることができたとき、不思議なことが起こりました。

友人の結婚式の余興で、自作の歌を歌ってほしいと頼まれたのです。

「ステージに立ってお金をもらうわけでもないし。友達のために、お祝いの歌を歌うのなら、いいかな。」

結局、それがきっかけとなり、彼女は再び大好きな音楽を始めることになります。

「音楽が、ただ本当に好きだった。誰とも比べる必要はなかったし、頑張りすぎる必要もなかった。そう思うと、今、生きるのがとても楽なんです。音楽をやっている・やっていない、成功している・成功していないということよりも、もっと大きなこと。人生で毎日、安心感に包まれながら生活を送れている。そのことが、嬉しいんです。」

そう笑う彼女の元へ、あちら、こちらから、音楽の仕事の話が舞い込むそうです。

「これが、引き寄せってことなんでしょうかね?」

笑顔の彼女を見ていると、仕事やお金は、人が生み出すエネルギーについてくるものだっていうことが、とってもよく信じられます。

美しい花を部屋に飾るとか、美味しいケーキを買って食べるなどの喜びは、数百円で手に入りますし、美しい空を見上げる、心地よい風を感じる、四葉のクローバーを探す、などは、お金を1円もかけずに楽しむことができます。
値段ではなくて、エネルギー。自分が選んでいる、自分の心が、自分自身の心が満たされるものでいっぱいになったとき、明後日の方向から、吉報が届く。
そういう気がします。

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