人生のゲームメイク

Posted on Posted in ナム哲学

人生が、オセロでいうところの「白圧勝」になる直前。
ボードの上は、

「黒ばっかり。お先真っ暗〜。」

こういう状態になる(見える)ことって、割とよくある話ではないかと思っています。

 

・ ・・私はそうでした。

何度でも言うけど、2年前、乳がんになって、

なのに今では会社設立なんてしちゃって、

無事に1周年を迎えて、毎日楽しく、ピンピンしてます。

 

同じように、夜明け前の闇が一番深いとか、
自殺者が多いのは午前3時だとか、
あと、1時間か2時間待てば、まばゆいほどのご来光が見れたのに、
オセロのボード上の「黒」ばかりに注目してしまって、
端っこにちょろちょろ顔を出している「白」に気持ちを向けることができなくなっちゃったんだね。

 

ゲームオーバー・・・ですね。

とても、残念ですが。

・・・ そういったことを考えます。

 

ボード上が黒がちに見えるとき、どうしたって、「真っ白」な状況は想像しがたいです。

 

ただ、「(黒がちだけど)白がある」ことは、事実なので。
「(とてもじゃないけど、黒圧勝の中、白が勝てるようには思えないけど)まだ、ゲームは終わっていないよね。」ってことは、事実なので。

 

「今ある、事実」の中から、
ひとつ、ひとつ、白の存在を拾い上げていくことで、
途端に、ボード上に違った意味が見つかることもあるかもしれません。

 

何度でも言いますけど、
私は、乳がんの治療法を自分で調べたり、お友達のお医者さんに相談したり、セカンドオピニオンへ行ったり、
生きる可能性や死ぬ可能性に真正面から向き合っているうちに、、、
(あとは、遺影写真も撮りました)

 

元気になりました☆

 

足元の、「白」を一個一個拾い上げて検証しているうちに、
「黒」の存在が目に入らなくなってきて。

 

オセロのボード上では相変わらず「黒優勢」であることは変わらないのに、
なんだか、元気やら勇気やらが湧いてきたのです。

 

おかしな話です。

手術はしていない。

がんは、一ミリも治ってないっていうのに。

 

オセロボードの、どこに焦点を当てるかで、まったく違った風景が見えるんですよね。

また、最終的に、真っ白にならなくてもよくって。

ゲーム自体を楽しめたら、何よりです。

 

「真っ黒になっちゃった〜、あっはっは〜」って、ひとり笑いしてても、誰にも迷惑かけませんし。

 

まずは、ひとり言からお試しあれです。

「ごはんを美味しくいただけてありがたいなぁ」とか。
「今日は雨が降ったから、夏、水不足にならずに済むなぁ」とか。
「スーパーのレジが、隣の列より早く進んじゃったなぁ、うふ♡」とか。

 

 

お得意の余談コーナーですが、
ふと、パトリス=ルコントの「橋の上の娘」っていう映画を思い出しました。

 

橋の上で身投げしようとしている美しい娘。
ナイフ投げの曲芸師が、「どうせ死ぬなら、ナイフ投げの的にならないかい?」と誘うわけです。

 

・ ・・Yahoo映画をチェックすると、「究極の純愛物語」とあるのですが、
ラストがどうなったかは、覚えていません 笑。

 

私の中で、「身投げせずに、新しい人生が始まった」という、

映画の冒頭のシーンで、もう、なんていうかお腹いっぱいだったのかもしれません。

 

「よかった、よかった。」
「とりあえず、生きててよかった。」

なんか、その安堵感を、リアルに覚えています。

 

「究極の純愛」っぷりを確かめるために、もう一度観てみようと思います◎

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