子どもたちの未来を、大人は導くことができない。

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最近、「リカレント教育」や、「リベラルアーツ」という言葉が聞かれるようになりましたが、、、

一人の大人が、一人の師として若い者に教えられることには、限りがありますね〜。

人が教えられることというのは、「自分が学んだこと、体験したこと、経験したこと」をベースにするよりほかなく、時間が有限である以上、そこには限りがあるからです。

大まかなトレンドのもとに、正解や、進むべき方向性があったとしても、
「正解」の方程式は、歴史とともに変わるのが、世の中の常であります。

「教育が大事!」
「学校だけに、任せてられない!」
ということで、
未就学児、就学児、中高生、大学生・・・社会に出る前の教育について、様々な人が、様々な取り組みをしていますが、
「何を、どこで、誰に教わるのか」
というのは、子供達にとって本当に重要なことです。

「何を、どこで、誰に」を間違えると、それは毒にもなりかねないと、本当に思うのです。

今の時代、子供の教育に向かう前に、大人こそが、改めて学ぶ必要があるのではないのか?

そもそも「教える」という側に立つ際に、
私たちは「何を教えるか」ということに注目しがちだけど、
それ以上に
「自分が知っていることを語る。それは、正解ではないかもしれないけど、参考になれば、取り入れてくださいね。」
というスタンスこそが、とっても、とっても重要なのではないか、ということを感じています。

30年前に、今のような世の中やビジネスを予測している人がほぼいなかったように、今生まれてきてすぐの子供たちが活躍する時代が、どんな社会でどんなビジネスが生まれているのか。

今活躍している世代が予測することはとても難しいです。

難しいというより、
「予測は、できない。子供達に任せるのがベストだ。」
という認識でいるのが、最良ではないかと、感じています。

親が子に願うこと。

「路頭に迷いませんように!」
「お金を稼いで、食べていけますように!」
「幸せでいられるように!」

だからこそ、サバイバルの前に必要なこと。
ナムフォトが考えるに

・自尊心
・愛
・お金は「信頼」で成り立っている
・命

このようなこと。

社会と関わる上で、
プログラミングや、英語や、アートや、農業や、いろいろな手法があること。
それは自由に、得意なことを選んでいいこと。

自尊心や、愛や、信頼でできたお金や、何より命に対する認識やインプットという土台がなければ、どんな優れた技術も、手法も、知識も、「幸せな人生」の役に立たないこと。

そんなことを思います。

そしてナムフォトとしては。

22歳で大学を出て、それから60年以上を生きる中で、当然社会の形は変わっていきます。(その要素の大きくは、“人口のボリューム”に左右されますね〜)
60年間を生きていくなかで、22歳までに学んだ手法で生き抜こうとすること。
そのことこそが不自然であり、今、見直すべき点ではないかと。

つまり、早い話が、
日本のおじさん、おばさんが変われば、日本の課題の半分以上が解決するのではないかと。

そんなことを思って、「遺影」のプログラムほか、あれや、これやと仕込みをしていたり、いなかったり。

私自身、その時々に合わせて、常にバージョンアップして、最適化しながら生きていこう。

そんなことを思っていたら、今年もあと2ヶ月か〜。

という秋の1日であります。

ちゃんちゃん。

One thought on “子どもたちの未来を、大人は導くことができない。

  1. 私が日頃漠然と感じていることと似たことが書かれてあり、あたたかいものが流れてくるような気がしました。

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