感情や心は、誰のもの?

Posted on Posted in ナム哲学

話をしていると、常に「でも・・・・」「だって・・・・」と切り返しをする

「でも」「だって」族。

 

今、あること、できていることの素晴らしさよりも、足りないもの、できていないこと、ネガティブな側面ばかりを見つめている、ネガネガ族。

 

 

未来に対する希望よりも、

現在に対する不満が渦巻いている状態ですね。

 

アドラー心理学では、

「原因論」ではなく「目的論」で物事を整理していくので、

彼ら・彼女らは

「でも」「だって」「もうちょっとこうだったらいいのに」

と言いながら、何かを守っています。

 

「変わりたくない自分」や「めんどうくささ」や「かわいそうな自分」や「両親から受けた痛み」や「過去の栄光」やら、なんやかやと。

 

きっとそれは人ぞれぞれですが、

ひょっとしたら、素晴らしさや希望の方を見つめた途端に、

今まで生きてきた自分の尊厳が

なくなってしまうと感じているかもしれません。

 

彼ら・彼女らが大事にそれを抱えている限り、

周りができることは、一つもない。

 

 

ジャガイモや玉ねぎ、牛肉といった材料は全部、

「カレーライス」を作るために存在する。

 

感情は、まさに、材料。

玉ねぎ=でも、全然◎◎してくれない!ぷんぷん!という怒りを使って、

あなたが作ろうとしている料理(状況や状態)は何ですか?

いつから、それを作ろうとしているのですか?

誰かに、何かを言われたのですか?

 

 

「あれ。そっか。私、カレーライスが作りたいと言いながら、見当違いの調理をしていましたね」と。

 

気づくことができたら、一瞬で楽になる。

 

「本当は、カレーライスが作りたい!

本当に、本当に、カレーライスを作るんだ!」

 

・・・そんな、潜在意識を呼び覚ますことができるといいですね。

 

玉ねぎが、自分ではないように、

感情や、心も、自分の外にある。

 

マイナスの感情に巻き込まれそうなとき、

「これは、本当の私ではない」と、伝えてあげてほしいな。

 

自分の外にあるくせに、周りの人の声は届かない。

 

変わるときは、常に自分から。

 

変わろうと思ったら、一瞬で変われる。

 

心のすごいところ。

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