ナムフォトでは、「競争の関係」をやめて、「協力の関係」を築いていく方法や心のあり方を大切にしたいなぁと、強く、強く思う今日この頃。
学校、会社、家庭、マスコミ、社会全体、人間関係で、とにかくこの「闘争パワー」を軸に回っているケースがとても多いです。
こういった環境に長年いるだけで、「闘争のパワー」が本来自分のものでなくても、慣らされてしまい、知らない間にそのパワーを使うようになっていたり(そうしないと自分が負けて、生存の危機にさらされてしまう、ように感じるからですが)、逆に闘争のパワーに巻き込まれて、心身ボロボロに傷ついてしまったり、そういったことって、ぜんぜん珍しくありません。そこら、ここらで起こっているように感じます。
ソーシャルデザインや、NPO、地域活性化の取り組みなど、「世の中をよくするために!」という世界でも、そのマネージメントの手法や関わっている人のモチベーションに「闘争パワー」が働いている現場を多く見ます。
「何でなんだろう?」
と思うのですが、戦後、日本社会ではずっとその形でやってきましたから、
「日本に生まれ育つ」
=
「競争させるマネージメントの方法しか語られない社会」
=
「競争させるマネージメントが一般的だから、他のやり方が分からない」
・・・なんか、そういうことなんだろうなぁと思います。
誰だって、日々闘争パワーにさらされて、
安心や安全を感じることができない毎日なんて、いやなものです。
明日、食べるものに、寝るものに困っているわけでもないのに。
常に何かに追いかけられているような感じだったり、出口がないように感じていたり、不安のつきない毎日・・・。
では、なんで、こんなにみんな競争する必要があるのか?
アドラー心理学の第一人者の野田俊作さんによると、
産業革命以降、生産性の向上のためにはその方がいいのではないかと、「なんとなく」競争社会のルールが採用されるようになり、「なんとなく」そのまま今日まできてしまったけど、「競争・闘争のパワーを使うと、生産性が上がる」ということは、立証されていないのだそうです。
それどころか、とあるアメリカの論文では、
英語単語の書き取りテストで、
「競争させたクラス」と、「競争させなかったクラス」を1年間みていくと、
「競争させなかったクラス」の方がクラス全体の成績が上がり、
「競争させたクラス」では、うんと上がった子どもと、完全に勇気をくじかれて低迷してしまった子どもにハッキリと二分されてしまった、ということです。
これを、社会全体の生産性に当てはめると・・・と、感じずにはいられません。
先日、たまたま「女性が活躍しないとヤバイほんとうの理由は「労働人口の減少」ではない。」という記事を目にしたのですが、
結論から言うと、
労働人口の減少 → 女性が活躍しないとヤバい → 本当にヤバいのは、優秀な女性を育成できない男文化(男性に通用するマネジメント)
・・・とありました。
では、これまでが、その「男性に通用するマネジメント」が敷かれていたとして、
今から、たった今から、どういう風に変わっていきましょうかね?
という方針こそが大切だと思うのです。
そう考えたときに、
アドラー心理学でいうところの「競争の関係」から「協力の関係」へシフトしていくこと
が、きっと解決に役立ちます。
この記事でいうところの「男性に通用するマネジメント」は、「競わせるマネジメント」だったと言い換えられると思うのです。
そしてこの「競争心」や「闘争心」というのは、男性の中にも、女性の中にも、どちらの中にも存在しているもの。
性別に限らず「自分から競争を下りる」ということ。
「マネジメントが良くない」「マネジメントする側が変われ」と、より大きなものや、上の立場に変化を求めたくなりますが、それこそが「競争」や「闘争」のパワーを使っているんですよね。
ということで、まずは個人が「競争を下りる」ことで、きっと社会は変わっていくはず。
個人の方が変化のスピードも速いですから、個人の悩みから、具体的に「競争を下りる」ことがどういうことなのか、具体的なお悩みの事例に対して、具体的な心理ステップを記したいと思います。
闘争を仕掛けられ、自尊心が欠如している
◎「お兄ちゃんは数学が得意だったのに、あなたはからっきしダメね。」
→「数学ができない私はダメなんだ。」
本来、数学ができなくても人生ダメになったりしないけど、ここでは親に「あなたは数学ができないからダメだ」と烙印を押されて、傷ついてしまった自分を、まず縦並びの関係から下ろしてあげて、自分をすっぱりと卵で覆うようにして守ってあげて、“回復の作業”から始めます。子供の頃の出来事が尾をひいて、今の自分の原型になっているケースはとても多いものですから・・・。
①自己感情の受容
「数学が苦手で、そのことを親から比べられて、辛かった!とっても辛かった!数学、私なりにがんばったのに、そのことを認めてもらえなかった!悔しかった!国語は私の方が得意なのに、そのことすら褒めてもらえなかった!ずるい!お兄ちゃんなんて大嫌いだー!!!」
暴れまくる自分の感情を、自分で全部吐き出させてあげる。
②自尊心の回復
「そうそう、数学はダメだったんだけど、、、私、国語は好きだったんだよね。長文読解も得意だったし。読書感想文で先生に褒めてもらったこともあったなぁ。文章を書くことは昔から好きだったなぁ。」
生まれてから今日までのことを、ゆっくり、一つ一つ思い出せば、自分の得意なこと、やってて楽しかったこと、時間を忘れてしまうこと、人に褒められることを意識していなかったのに、気づいたら褒められていたこと。などが、きっとあるはず。その世界や、気持ちを全身で感じながら、受け入れ、掘り下げていきます。
③自分から広がっていく世界を見つける
「国語、なんで私は好きだったんだろう。いろんな物語に触れて無数の人のいろいろな人生を追体験することや、主人公や登場人物と自分が重なるような気持ちになったりして、面白かったなぁ。映画も好きだし、脚本の勉強をしてみたいなぁ。」
縦並びの列から自分を外してみると、びっくりするくらい「楽」になります。
それは、自分が負けている場合はもちろんですが、自分が勝っている場合でも。
自分を楽にしてあげた上で、「自分の良い面を、どう生かしていこうかな」という視点で周囲を見ていくと、これまでには見えなかったものが見えてきます。
◎「同僚は、会社で新事業を任されて活躍している。新聞や雑誌で取材もされてて、なんだか今勢いにのってるようだ。それに比べて・・・」
→「俺なんて全然ダメだ」
自己価値が感じられず、未来に希望を持てない状態になっちゃいました。
①自己感情の受容
「傷つくなぁ。自分は新聞に載ったことも、取材されたこともないし、これからもなさそうだなぁ。・・・っていうか、こんなことでくよくよしている自分もダサいよなぁ。」
同僚のようにスポットライトを浴びることができない現実。そのころに傷ついていたり、くよくよ、めそめそしている自分の心を受け入れる。
②自尊心の回復(他者のいない世界で、自分自身を見つめていく)
「今の時点で、俺の仕事ぶりってどうなんだろう?「得意なこと」は、いろいろなソースや数字を引っ張ってきて、分析すること。でも、今やってるのは使い古された、ひと昔のマーケティングっていう気がしないでもない。最新のマーケティングって、どうなってるんだろう?勉強してみようかな。」
最初のうちは、「同僚にはできないこと」や「自分にしかできないこと」という、他者との比較や、競争の視点を持ち込まないこと。誰にでも、見方を変えれば「できていること」はたくさんあるはず。そして、「求められること」に一生懸命になりすぎて、行き詰まりを感じていたりしないかなってことも、注目してあげましょう。
社会よりも、相手よりも、自分を変えることが、一番楽で早いです。
そして、自分が競争から下りても、世界から見捨てられたり、お金が稼げなくなったり、食べ物に困ったりすることは、ありません。
オリンピック選手やコーチたちをよーく観察していると、闘争のパワーも、協力のパワーも、どちらも見つかります。
どういうことかというと、もちろん、みんな一斉に金メダルを目指して戦っているわけですが、「この人は闘争のパワーを使っているのか?それとも協力のパワーを使っているのか?」と見ていくと、縦並びの関係の中に自分を置いていない人というのがいるんです。
合気道で相手を投げ飛ばすときには、相手に対立するようなエネルギーではなくて、相手と同化して、相手のエネルギーを利用して、投げるそうです。
だから、投げられるほうも気持ちがいいのだそう。
どちらのエネルギーも、誰にでも馴染みのあるもの。
自分の中を、よーく観察して、楽にしてあげましょうね◎